伊賀エリアには薬師寺、上野公園、赤目四十八滝などの観光スポット、上野天神祭、伊賀焼陶器まつり、名張川納涼花火大会などの観光イベント、赤福、いちご大福、てこね寿司などのご当地グルメがあります。
伊賀上野は、三重北西部に位置し、忍者の里として知られ、奈良街道と伊賀街道の要所であり、宿場町として栄えました。上野城の城下町としても栄えました。東京にも似た名があるため、伊賀上野と呼ばれています。また、「伊賀焼」の産地としての顔も持ちます。
三重県津市の西に位置する高原ですが、霧も出る一方、景色は綺麗で素晴らしいドライブコースとなっています。風力発電の風車がいくつも設置されており、不思議な雰囲気を醸し出す観光スポットです。
「松尾芭蕉」の生誕地として有名な伊賀は、周囲を山脈に囲まれた土地柄であり、閉鎖的な雰囲気のする場所です。
「伊賀屋敷」もこの付近にあり、大名に仕えた事はあまりにも有名ですが、一族の生き残りを目的として独自の文化に発展して忍者が生まれた事はあまり知られていません。
「伊賀流忍者博物館」では、これらの伊賀の歴史についても紹介しています。また建家の中には色々な仕掛けが用意してあり、「忍者実演ショー」もあることから、子供にも非常に人気の高い観光スポットです。「伊賀上野城」も近くにありますので、足を伸ばしてみましょう。
伊賀の特産といえば、「伊賀焼」が有名です。また昔からの伝統文化としても「くみひも」もよく知られた特産品です。また自然の酒造りに恵まれた環境にあるため、「伊賀酒」も美味しいお酒として知られています。
「菜種油」の生産も多く、お土産にはもってこいの品物です。また、青山の自然からできた清酒は「青山の地酒」として評判であり、「でっち羊羹」はこの辺りではよく知られた菓子です。
くみひもなどの伝統芸能は体験コーナーもあり、下駄作りも同様に体験できます。これらの伝統芸能は、忍者の常の仕事としてもよく知られたものです。その他にも木工体験や、そば打ち体験など、さまざまな体験コーナーを受ける事が可能です。
イベントでは初瀬街道まつりや、酒藏祭りなど、地産品を対象とした祭りも開催されていますので、興味のある方は、是非そちらにも足を運んでみて下さい。
約4kmに渡って続く渓谷。滝をつなぐ回遊路は遊歩道となっており、雄大な自然の中、多彩な滝を巡りながらの散策が楽しめます。また、透明で清んだ水は平成の名水百選にも選ばれ、特別天然記念物のオオサンショウウオの生息地でもあります。【規模】延長4.2km...»
自然とふれあいながら農業や手づくりソーセージ体験を楽しめる施設です。飲食施設や公園の整備が整っており、宿泊施設や温泉施設も併設されています。ミニブタショーなども催され、一日中楽しめる農場公園となっています。 自然・農業・手づくりをテーマにしたエコロジーファームで、養豚からハム・ウィンナーづくり、大麦の生産から地ビールづくり、米の生産から和菓子づくり、小麦の生産からパン・パスタ・焼き菓子づくりと、手づくりの行程を各工房で見学でき、教室では手づくり体験ができます。ここでしか味わえないオリジナルの地ビールやソーセージも楽しむことができます。...»
上野公園(伊賀上野城)内にある博物館で、忍者の実像を紹介しています。忍者屋敷、忍術体験館、忍者伝承館の3つの施設を通じて、忍者に関するさまざまな体験ができます。 忍者屋敷 江戸時代末期の土豪屋敷を移築した忍者屋敷では、忍者たちが実際に使用していた様々な仕掛けを体験することができます。くノ一が案内役となって、からくり扉や隠し階段など、カラクリを実演しながら忍者屋敷の秘密を余すことなく教えてくれます。 忍術体験館 忍術体験館には、手裏剣や吹き矢などの忍具をはじめ、忍者の衣装や生活用品など、貴重な資料が展示されています。実際に手裏剣を投げてみたり、忍者の衣装を着て記念撮影をしたりすることもで...»
標高約184mの丘に建つ平山城で、周囲には服部川、柘植川、久米川、木津川が流れ、自然の要害に囲まれています。白鳳城や上野城とも呼ばれます。 上野城は三つの時代の天守閣が築かれました。 1. 筒井定次の城 天正13年(1585年)、筒井定次によって築かれたのが最初の伊賀上野城です。平楽寺・薬師寺のあった台地に三層の天守閣が建てられ、城下町は北側に形成されました。しかし、慶長13年(1608年)に筒井定次は改易となり、天守閣も寛永10年(1633年)頃に倒壊したと推定されています。 2. 藤堂高虎の城 慶長13年(1608年)、藤堂高虎は徳川家康の命により伊賀上野城に入城しました。高虎は...»
名張藤堂家邸跡は、江戸時代の藤堂氏の城下町として栄えた名張にあります。寛永13年(1636年)に藤堂高吉によって築かれました。高吉は津藩藤堂家の一門であり、名張に11代にわたって居を構えました。 現在の屋敷は、宝永7年(1710年)の名張大火で焼失した後に再建されたものです。現存する建物は「中奥」「祝間」「圍」など、私的な生活を送る建物の一部です。 現存する数少ない上級武家屋敷として、往時の栄華を偲ばせる貴重な文化遺産で、当時の暮らしぶりを垣間見ることができます。...»
厳しい修業に励んだ伊賀の忍者たちのスタミナ食が起源と言われる、山と海の幸を使った豪快な鍋料理。特に当地の忍者「百地三太夫(ももちさんだゆう)」が、赤目渓谷で修行中に食したことで有名な鍋料理である。イノシシ、シカ、ヤマドリ、キジ、山芋、きのこ、山菜などに伊勢志摩の新鮮な海の幸を加え、タレに工夫をこらして現代風の新しい味を生み出している。赤目温泉につかって体を癒し、忍術鍋を食してその体力を回復させるという、この温泉地の名物料理だ。...»
伊賀盆地特産の白瓜の芯を抜き、その中に紫蘇・生姜・大根・きゅうりなどを細かく刻んで詰め、たまり醤油にて昔味で2年、新味で1年の間自然熟成させた漬物。藩主藤堂高虎が陣中に食料として常備し、武士の志気を養う、つまり「肝っ玉を養う漬物」という意味で「養肝漬」と名づけられたという。また忍者の携帯食であったとの言い伝えもあるそうだ。約2年間かけて作られるものもあり、手間隙かけられた漬物は、今では伊賀ならではの土産としても人気が高い。...»
高級肉の代名詞「伊賀牛」の中から、さらに厳選された最高級の肉だけを使ったすき焼き。脂がたっぷりのった伊賀牛は、熱が加わるとあふれる程の肉汁を出し、口の中でとけるように消えるやわらかさを持ち、さらに染み出た肉汁は、野菜等の他の具材の味を向上させ、すき焼きの一体感を演出する。名店と呼ばれる店舗では、あえて割り下を使わずに、醤油と砂糖だけですき焼きを作るところもあり、伊賀牛のジューシーさをうかがい知ることができる。...»
明治38年に金谷清三郎が伊賀から東京へ肉牛を初出荷したのをきっかけに、全国に名が広まった“伊賀牛”。伊賀牛という称号は、黒毛和種の処女牛にのみに与えられ、その希少価値は高い。寒暖の差が激しい気候と豊か自然が、芳醇な香りとコク、やわらかな肉質を持つ伊賀牛を育てるという。自然のなかでのびのびと育てるため、サシが少なく、肉本来の旨みをヘルシーに楽しめるのも特長。昔ながらの穀物や稲わらを食べていることも、伊賀牛がおいしい理由だ。...»
肥沃な土地、淀川源流の清水、盆地特有の気候に恵まれた「伊賀米」。ふかふかの土づくりから粒ぞろいのお米になるまで、熱心に育て上げられている。まずは稲が元気に育つ環境づくり。ふかふかの土を作るために稲藁のすき込み、有機質肥料、堆肥の投入などを行っている。また、堆肥は米が太りすぎにならないよう適期・適量の施用や、早すぎず遅すぎない収穫時期、お米が割れないよう最適な水分も大切にしている。また、最後の仕上げとして、ふるいの目をきつくして粒ぞろいの良いお米が揃うように心がけている。...»
三重県を代表する銘柄米。中勢・南勢地域を中心に県内全域で広く栽培され、早場米として8月下旬に収穫される。良質で噛むほどに甘みが増し、冷めてもおいしく食べられる食味のよい米。温暖な気候、豊かな自然、土壌に恵まれた環境で育つ「コシヒカリ」は、お米の粒もしっかりしていて、見た目も申し分ない炊きあがり。若干固めの米質が特徴。主に中部地区・関西地区に出荷され販売されており、値段も手ごろで美味しい米として人気がある。 旬 9月 10月 11月 ...»
その昔、伊賀の忍者が敵方の屋敷にひそかに忍び込み、何日もの隠密行動を支えた携帯食料の一つが忍菓と呼ばれた「かたやき」であった。日持ちがするので保存食として重宝された。原料は小麦粉と砂糖、膨張剤のみ。機械では作れない製法のため、現在も1枚1枚すべてが手作り。芳ばしい香り、懐かしい甘さと歯ごたえのある、素朴な伊賀を代表する銘菓である。...»
「丁稚ようかん」は、長きに渡り三重県伊賀で親しまれてきた伝統銘菓。和菓子処 湖月堂は明治時代より城下町で百数十年続く老舗和菓子店。 吉野の葛をふんだんに使った丁稚ようかんは、一般的なようかんよりも水分が多く、つるっとしたのどごし。それはまるで水ようかんのようだ。小豆の風味が良く甘さも控えめなので、さっぱりとして食べやすい。女性だけでなく男性ファンが多いのもうなずける。昔ながらの手作り製法にこだわり、合成添加物は一切使用していない。秋になると、栗が入った「栗丁稚ようかん」も販売される。...»