江戸時代末期に建てられた武士の住宅です。松坂城の警護にあたった藩士たちが暮らした長屋(ながや)で、西棟北端の一軒は内部が公開されており、当時の武士の暮らしを体感することができます。
この組屋敷は、1863年(文久3年)に紀州藩主の直臣40石取りの武士たちが住むために新築されました。武士の住宅建築である組屋敷が、ほぼ当時のまま住居として継続して使用・維持管理されている点で大変貴重です。
建物を取り囲む槙の生垣や前庭、上り框のある玄関など、当時の武家住宅の面影を残しています。国の重要文化財に指定されています。
歴史
紀州藩家老田辺安藤家に派遣されていた与力衆の200-300石取り紀州藩士は、安藤家の陪臣となることに抗議して、1856年(安政3年)に脱藩し浪人となりました(田辺与力騒動)。6年後に直臣40石取りとして復帰し、松坂御城番職に就きました。1863年(文久3年)、松坂城南東の三の丸に藩士とその家族の住居として新築されたのが、この組屋敷です。
武士の住宅である組屋敷は、ほぼ当時のまま住居として使用・維持されています。2004年に「旧松坂御城番長屋」として国の重要文化財に指定されました。
構造
御城番屋敷は、松坂城の搦め手から続く小路を挟んで東西に分かれています。東棟は10戸、桁行90.9メートルの平屋で、南北の妻側は切妻造り。西棟は9戸、桁行83.6メートルの平屋で、北面は切妻造り、南面は入母屋造り。ともに瓦葺で、裏面には角屋が付属しています。各棟は1戸あたり間口5間・奥行き5間が基準となっており、建物は槙の生垣や前庭、上り框のある玄関、畑地などで整然と建て並べられています。
維持管理と景観整備
明治維新後、住民士族が設立した合資会社苗秀社(びょうしゅうしゃ)が建物の維持管理を行っています。現存する19戸中12戸は借家として貸し出されており、1戸は松阪市が借用して内部を創建当時の姿に復元し、一般公開しています。1989年には、景観整備として電柱の移転、テレビアンテナの撤去、小路の石畳化工事が行われました。
10:00~16:00
月曜日(祝日の場合翌日)
年末年始休
無料
無料駐車場有り(松阪市駐車場)
松阪駅から徒歩で約15分
松阪駅からバス *藤の木台又は川井町又は阿坂・小野行き → 市民病院前から徒歩で3分