歴史
六華苑の建設は、1911年(明治44年)にジョサイア・コンドルの設計で始まり、1913年(大正2年)に完成しました。コンドルは鹿鳴館を設計したことで著名なイギリス人建築家であり、彼の設計した現存建造物の多くは東京に集中していますが、地方では桑名市にのみ存在します。
初代諸戸清六が西南戦争で政府要人との知遇を得たことや、三菱財閥の創始者岩崎家との交流が、コンドルに設計を依頼する背景となりました。
竣工後、諸戸家は桑名市内に別邸を建て、そこに移住しました。太平洋戦争中や戦後には、諸戸家の関連会社の事務所として使用されました。1990年(平成2年)、桑名市は諸戸家から建物を寄贈され、1991年(平成3年)には敷地も購入しました。その後、修復整備工事を経て1993年(平成5年)から一般公開されました。
1996年(平成8年)には三重県有形文化財に指定され、1997年(平成9年)には「旧諸戸家住宅 2棟」の名称で国の重要文化財に指定されました。2001年(平成13年)には庭園が国の名勝に指定されました。
洋館
洋館は、鹿鳴館の設計で知られるイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによる木造2階建ての建物で、ヴィクトリア朝住宅の様式を基調としています。外観の特徴としては、東北の隅に立つ4階建ての塔屋や、庭園に面して多角形に張り出した1階のベランダと2階のサンルームが挙げられます。
当初の設計図では塔屋は3階建てでしたが、「揖斐川を見渡せるように」との諸戸清六の意向で4階建てに変更されました。また、内部のデザインは1階が洋風で、2階は洋間に和風の襖が設けられるなど和洋折衷の工夫が施されています。押入れの中に収納棚を設けるなど、実用性も兼ね備えています。現在、塔屋の3階と4階は公開されていません。
和館
和館は諸戸家の抱え大工であった伊藤末次郎が棟梁を務め、木造平屋造り(一部は2階建て)として1912年(大正元年)に洋館の竣工に先立って完成しました。当時、洋館と和館を併設する場合、別棟にすることが一般的でしたが、諸戸邸では和館が洋館と壁を接して直結しており、日常の生活は和館を中心に営まれていました。
和館には周囲を巡るように板廊下が配置されており、北側の内庭に面する板廊下と各部屋の間には、主人と家族、客人が使用するための畳廊下が設けられています。
主庭園
主庭園は建物の南側に位置し、芝生の広場と池を中心とした日本庭園です。渓流や滝、枯れ流れなどが巧みに配置されています。建設当初、庭園東側の水源付近には、コンドルの設計による中央に噴水を配したバラの洋式円形花壇がありましたが、大正末期から昭和初期の改築の際に撤去されました。また、当初は池の水が揖斐川と繋がっており、川の干満の変化に合わせて池の水位が変わる「汐入り庭園」となっていました。
内庭
内庭は、当初設けられていた茶室や待合に合わせて露地風の庭園でしたが、1938年(昭和13年)の改修で茶室が撤去され、離れ屋(当時は仏間として使用)が作られました。この改修は、諸戸家と交流のあった松尾流の十世・松尾宗吾が監修し、主庭園も含めて手が入れられています。